相手に悩みを打ち明けられたとき、
ここで重要なのは『相手の気持ちを理解しようとする気があるかどうか?』だと思うのですよ。 
当事者の気持ちを認めてあげて
そして話して行くうちに相手の本心からの答えが導き出されるようなのが一番良い。
当事者の中で答えがまだ生まれていないときもあるので、ケースバイケースではありますが。。
相手が自分の思うとおりに動かなくて腹を立つのなら
それは、自分の意見を押し付けたいだけ、という証拠。

『人の悩みというのは、その人によって重さが違う。』

そのことをきちんと認識しているのかどうか、そこなんですよね。
同じ悩みであっても相手にとってはすごく重いものであるということをわかってあげられる人物。
そういう人が的確なアドバイスができる人なのだと思います。

*   *   *

きっとね、ある一定の基準から比べたらどっちの方がより辛いのかは一目瞭然。
でも、それは客観的に見たときであり、だからといって本人の辛さが和らぐわけではありません。「あなたは大したことでないことで悩んでいる。あの人の方が辛いのだから、あなたは我慢なさい。これくらいで辛いなんていってはいけません。」
そんなアドバイスは何の役にもたたない。否、アドバイスですらありえない。愚直な誤魔化しでしか、ありえない。人と比較して自分の方が恵まれているのだから我慢しろ?人の不幸と比べて自分の幸福度をあげろと?人の不幸を踏み台にして自分を誤魔化して、それがなんになる?何の解決にもならない。根本的には。ただの慰めですらありえない。ただのすり替え。愚案。愚かさの極み。

「不幸ではない」なんて言い方は、ただの誤魔化し。言葉を玩んでいるだけ。

「不幸だ」って言い方も、それに類するもの。

当事者の辛さは当事者にしか、その重みを感じれない。
関係者としては、ただその重みをわかってあげるだけで良い。
それだけで当事者は救われるのだ。
問題を解決するのは当事者に他ならない。当事者にしか出来ない。
関係者は自分の意見を押し付けることなどせず、見守ってくれているのが一番当事者にとってありがたい。

自分の意見を押し付ける関係者が多いのも事実だが。

それに臆することはない。当事者よ。

そんなもの、跳ね返してやればいいのだ。相手の意見(アドバイスという衣を纏った、こうするべき、という相手の願望)に従うことはない。相手は好き勝手に自分の意見を述べているにすぎない。それに従ったからといって満足する者は誰も居ない。相手は100%望んだとおりにならないといってあら捜しをして怒り出すだろうし、従った自分は自分の気持ちを無視して(押し殺して)いるので不満だらけ。そんな状況が誰にとってもいいわけがあるまい?

それに、だ。人の意見に左右されて人生を決めたところで満足できる人生は送れない。何故なら自分の本意で決めたことではないから。相手に対して「気に入られたい」と思って選んだだけの選択肢でしかないのなら、余計にそうだ。自分の本意ではない選択ばかりをした人の人生はどうだと思う?それで幸せ?

いろんな選択肢がある。
決めるのは自分。

人の意見に従うのも、自分の本意に従うのも決めるのは自分。

人から言われるままに、押し付けられるままに、流されて生きるのも一興ではあるが(そういう生き方を否定はしない。それもありだとわかっているから。)

自分の意志で 自分の人生を切り開いていくこともできるのだ。
それには(自由には)多大な負担が伴うが。
それでも 『死んだように生きているよりまし』。

死ぬよりつらいこと? それは生きていくこと。



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