相談してもよかったんだろうか
2014年12月2日 10年後弟に
弟に相談しても良かったんだろうか?
先の日記を書いていて思った。
もしかして、弟に SOS を出しても良かったんだろうか?
一昨年、弟に会いに行った。
後述のものとは違う もの が見つかったから。
要手術なのだけど、症状が出ていないので、日常生活に支障はない。
もしかしたら、もう会えないかもしれないと思って、無理して会いに行った。
弟には、何故会いに行ったか、本当のことは話していない。
弟は、昔の弟のままだった。
お嫁さんと子供を愛するよき父親にもなっていた。
弟に会えてよかった。弟は幸せそうだった。よかった。
弟に相談しても良かったんだろうか?
先の日記を書いていて思った。
もしかして、弟に SOS を出しても良かったんだろうか?
一昨年、弟に会いに行った。
後述のものとは違う もの が見つかったから。
要手術なのだけど、症状が出ていないので、日常生活に支障はない。
もしかしたら、もう会えないかもしれないと思って、無理して会いに行った。
弟には、何故会いに行ったか、本当のことは話していない。
弟は、昔の弟のままだった。
お嫁さんと子供を愛するよき父親にもなっていた。
弟に会えてよかった。弟は幸せそうだった。よかった。
時折、ログインしては、恩人やお気に入り先を、そっと訪問していました。
元気そうで何よりです。
自分の日記を読み返しました。
離婚から、10+2年経っていたようです。ビックリ。
ずいぶん変わりました。
思考は、だいぶ楽になり、時折、言の葉に上ることはあっても、
あまり考えなくてすむようになりました。
「なんで相手が そう したのか?」 を、ずっとずっと考え続けています。
ぼんやりとですが、答がやっと見えました。
「相手にとっては、息をするように当たり前のこと。
なので、なんで責められるのか怒られるのか、心底本心からわからない。」
ということが、わかってきました。
私にしていたDVに、特段の理由なぞなかったのです。
ただ、そうするのが自然で、相手にとって当たり前だっただけ。
相手のこれまでの生育環境の中で、そうするのが当たり前の習慣だっただけ。
ただ、その生活を結婚後も10年以上続けたのは、
私に、それを諌める力と矯正させる力が弱かっただけ。
「離婚するぞ」「お前なんて必要ない」そういう言葉の脅しに屈していただけ。
『ほれた弱み』でしょうか。
相手に強く出られると、逆らえなかった。
相手に嫌われるのが、怖かったんです。
それで相手が増長を続け、誰にも止められないところまで傲慢になってしまった。
それだけのことだったんですね。
私は、
自分を守るために、「イヤなことはイヤ」と突っぱねればよかっただけだったんですね。
その結果が、離婚になろうが、自分を守るためにそうすればよかったのだと思います。
でも、親には「あんたなんて絶対結婚できない。もらってくれる人もいない」
と、物心つく前から、何度も何度も繰り返し言われていましたから、
親を見返したい気持ちもあったんでしょうね。意地ですかf^_^;
挨拶の時も、
「こんな(価値のない)娘をもらってくれるなんて、なんて奇特な人なんだ」
って、親が喜んで歓待してましたからね。
私としては、「厄介払いできて嬉しい」「こんな娘なんていらない」
という風にしか受け取れませんでした。いまも、そう思っています。
小さいころから、母親に
「お前は橋の下で拾ってきた子だ。(私の娘なんかじゃない)」と言われ続けてもいました。
『親から大事にさていない。親から愛されてない。』
いまもそう思っています。
刷り込みに近い感じで何度も言われたので、
親が、いまさらそれを否定してきても、信じられません。
否定するなら、なんでそういうことを言ったのか、理解できません。
親が未熟だったのかもしれません。
それでも、やっていいことと、そうでないことの区別がつかなかった という言い訳は、私は受け付けません。
私の親は、いまも、私の話を真剣に聞こうとしません。
連絡しても、すぐに電話を切ろうとします。
自分達が遊ぶことのほうが、大事なんです。娘のことより、享楽の方が優先事項なんです。
だから
いまだに会いたくないです。
何度も何度も、お医者さんを間に挟んで話をしても
お医者さんの話は、全然覚えていませんし、理解していません。
表面だけ、お医者さんの話に合わせて、ハイハイ って返事しているだけです。
後日、「お医者さんに、○○って言う説明されたよね?あれ、ちゃんと覚えてる?」
と、聞けば
「先生の○○○○大きかった。先生、あの年なのに結婚してないの?」
「話?なんだっけ?覚えてない。」
私が、再度、お医者さんの説明を繰り返せば
「難しいこといわれても、わかんない。理解できない。そんなことより、遊びに行きたいから、電話切るね。」
って、連絡を切っちゃう。
それで、私が激怒して、このことについて怒ると、寝込む。
長くて、一ヶ月くらい寝込んだこともある。
本当にお医者さんの説明を覚えていないのか、
覚えていないフリをしているのか、わかりません。
「メモをきちんと取れ!」って言ったのに、「うんうん」って返事しながらとってなかったし。
真剣に、娘と向き合おう、って気持ちがなかったのかもしれない。
私がキツく注意すると
「親が かわいそうだと思わないの?」
といって、自分は酷い目に合わされている!と主張して
こちらの同情を引いたり、罪悪感を掻き立てたりして 自分の思い通りにしようとする。
何度真剣に話しても、最後にはすべて「親が かわいそうだと思わないの?」
で、逃げる。
私が離婚直前で一番悲しかったのは、親が私を守ってくれなかったことだ。
私が相談しても
「(私の)旦那が怖いから、話なんて出来ない。注意なんて恐ろしくて出来ない。」
と、逃げ腰で、一切守ろうとしてくれなかった。
むしろ、旦那に対しては、いつも大歓迎で迎えてて、旦那と諍いをしたくないと、いつも言ってた。
親 が、親 の 役割を放棄してた。それで私は1人で戦わなくてはいけなかった。
親に対して、何も期待しなくなった。親は私を助けてくれない。親は私を助ける気はない。
と判断した。
親には何度も裏切られた。期待するだけ無駄だった。
元気そうで何よりです。
自分の日記を読み返しました。
離婚から、10+2年経っていたようです。ビックリ。
ずいぶん変わりました。
思考は、だいぶ楽になり、時折、言の葉に上ることはあっても、
あまり考えなくてすむようになりました。
「なんで相手が そう したのか?」 を、ずっとずっと考え続けています。
ぼんやりとですが、答がやっと見えました。
「相手にとっては、息をするように当たり前のこと。
なので、なんで責められるのか怒られるのか、心底本心からわからない。」
ということが、わかってきました。
私にしていたDVに、特段の理由なぞなかったのです。
ただ、そうするのが自然で、相手にとって当たり前だっただけ。
相手のこれまでの生育環境の中で、そうするのが当たり前の習慣だっただけ。
ただ、その生活を結婚後も10年以上続けたのは、
私に、それを諌める力と矯正させる力が弱かっただけ。
「離婚するぞ」「お前なんて必要ない」そういう言葉の脅しに屈していただけ。
『ほれた弱み』でしょうか。
相手に強く出られると、逆らえなかった。
相手に嫌われるのが、怖かったんです。
それで相手が増長を続け、誰にも止められないところまで傲慢になってしまった。
それだけのことだったんですね。
私は、
自分を守るために、「イヤなことはイヤ」と突っぱねればよかっただけだったんですね。
その結果が、離婚になろうが、自分を守るためにそうすればよかったのだと思います。
でも、親には「あんたなんて絶対結婚できない。もらってくれる人もいない」
と、物心つく前から、何度も何度も繰り返し言われていましたから、
親を見返したい気持ちもあったんでしょうね。意地ですかf^_^;
挨拶の時も、
「こんな(価値のない)娘をもらってくれるなんて、なんて奇特な人なんだ」
って、親が喜んで歓待してましたからね。
私としては、「厄介払いできて嬉しい」「こんな娘なんていらない」
という風にしか受け取れませんでした。いまも、そう思っています。
小さいころから、母親に
「お前は橋の下で拾ってきた子だ。(私の娘なんかじゃない)」と言われ続けてもいました。
『親から大事にさていない。親から愛されてない。』
いまもそう思っています。
刷り込みに近い感じで何度も言われたので、
親が、いまさらそれを否定してきても、信じられません。
否定するなら、なんでそういうことを言ったのか、理解できません。
親が未熟だったのかもしれません。
それでも、やっていいことと、そうでないことの区別がつかなかった という言い訳は、私は受け付けません。
私の親は、いまも、私の話を真剣に聞こうとしません。
連絡しても、すぐに電話を切ろうとします。
自分達が遊ぶことのほうが、大事なんです。娘のことより、享楽の方が優先事項なんです。
だから
いまだに会いたくないです。
何度も何度も、お医者さんを間に挟んで話をしても
お医者さんの話は、全然覚えていませんし、理解していません。
表面だけ、お医者さんの話に合わせて、ハイハイ って返事しているだけです。
後日、「お医者さんに、○○って言う説明されたよね?あれ、ちゃんと覚えてる?」
と、聞けば
「先生の○○○○大きかった。先生、あの年なのに結婚してないの?」
「話?なんだっけ?覚えてない。」
私が、再度、お医者さんの説明を繰り返せば
「難しいこといわれても、わかんない。理解できない。そんなことより、遊びに行きたいから、電話切るね。」
って、連絡を切っちゃう。
それで、私が激怒して、このことについて怒ると、寝込む。
長くて、一ヶ月くらい寝込んだこともある。
本当にお医者さんの説明を覚えていないのか、
覚えていないフリをしているのか、わかりません。
「メモをきちんと取れ!」って言ったのに、「うんうん」って返事しながらとってなかったし。
真剣に、娘と向き合おう、って気持ちがなかったのかもしれない。
私がキツく注意すると
「親が かわいそうだと思わないの?」
といって、自分は酷い目に合わされている!と主張して
こちらの同情を引いたり、罪悪感を掻き立てたりして 自分の思い通りにしようとする。
何度真剣に話しても、最後にはすべて「親が かわいそうだと思わないの?」
で、逃げる。
私が離婚直前で一番悲しかったのは、親が私を守ってくれなかったことだ。
私が相談しても
「(私の)旦那が怖いから、話なんて出来ない。注意なんて恐ろしくて出来ない。」
と、逃げ腰で、一切守ろうとしてくれなかった。
むしろ、旦那に対しては、いつも大歓迎で迎えてて、旦那と諍いをしたくないと、いつも言ってた。
親 が、親 の 役割を放棄してた。それで私は1人で戦わなくてはいけなかった。
親に対して、何も期待しなくなった。親は私を助けてくれない。親は私を助ける気はない。
と判断した。
親には何度も裏切られた。期待するだけ無駄だった。
久しぶりに生存報告w
2012年11月11日 10年後最後に書いた日付を確認したら、2007年!
えーと、いまは2012年だから…5年近く日記を書いていなかったみたいです(汗)
5年かぁ。。。
実は、つい先日、ニッカウヰスキーから小包が届きました。
この小包、私が作ったウヰスキーなんです。10年前に。
(まぁ、作ったと言っても、製造段階で樽詰めを手伝っただけなんですがw)
当時、離婚で苦しくて苦しくて、どうしようもなくて…
「それって、どのくらい? どのくらい経てば、苦しくなくなるの?」
「離婚して、1年以上経ったけど、まだ苦しいよ? いつ楽になるの?」
耐えても耐えても、苦しさは変わらなくて…
そこで、当時、まだ始まったばかりの「ニッカマイウヰスキーづくり」に参加しました。
マイウヰスキーが出来るのは、仕込みから10年後。
10年経てば、「すこしは忘れることができているかもしれない」と思ったんです。
で、その10年後が来て、マイウヰスキーが届いた訳です。
で、10年経った訳だ。うん。
で、現在、どうなったかというと…
苦しいのは、いまも変わりません(苦笑)
だがしかし !
そのことについて考える時間が少なくなりました。
それで、 生きているのがつらいと感じる時間 が少しですが、減りました。
実際は、マイウヰスキーを作った後も、2年ほど苦しかった。
ほとんどまともに生活できていませんでした。
いま振り返っても、よく無事だったなぁ、よく生きていたなぁ、と思います。
覚悟を決めれなくて、死にきれなくて、
助けて欲しくて、いろんな人に迷惑を掛けて…
でも関わってくれる相手に対し、過剰に依存してしまうので
相手に迷惑掛けたくなくて、人との関わりをほとんど断って…
最後の方は、ほとんど人との関わりを断っていました。
自分から連絡することもしなくなりました。
もうほとんど、行方不明のレベルで、ひっそりと存在していました。
私は、ここ10年のことを、ぼんやりとしか覚えていません。
いまだに、日付や曜日の感覚がありません。季節もよくわかりません。
現在も、行方不明とほぼ同様の生活です。
10年経っても、「つらいもんはつらい」です。ハッキリいってf^_^;
それでも、いまは、過去の想いだけに囚われることは、少なくなりました。
とりあえず、生きてます。
心配かけてしまってごめんなさい。
えーと、いまは2012年だから…5年近く日記を書いていなかったみたいです(汗)
5年かぁ。。。
実は、つい先日、ニッカウヰスキーから小包が届きました。
この小包、私が作ったウヰスキーなんです。10年前に。
(まぁ、作ったと言っても、製造段階で樽詰めを手伝っただけなんですがw)
当時、離婚で苦しくて苦しくて、どうしようもなくて…
「それって、どのくらい? どのくらい経てば、苦しくなくなるの?」
「離婚して、1年以上経ったけど、まだ苦しいよ? いつ楽になるの?」
耐えても耐えても、苦しさは変わらなくて…
そこで、当時、まだ始まったばかりの「ニッカマイウヰスキーづくり」に参加しました。
マイウヰスキーが出来るのは、仕込みから10年後。
10年経てば、「すこしは忘れることができているかもしれない」と思ったんです。
で、その10年後が来て、マイウヰスキーが届いた訳です。
で、10年経った訳だ。うん。
で、現在、どうなったかというと…
苦しいのは、いまも変わりません(苦笑)
だがしかし !
そのことについて考える時間が少なくなりました。
それで、 生きているのがつらいと感じる時間 が少しですが、減りました。
実際は、マイウヰスキーを作った後も、2年ほど苦しかった。
ほとんどまともに生活できていませんでした。
いま振り返っても、よく無事だったなぁ、よく生きていたなぁ、と思います。
覚悟を決めれなくて、死にきれなくて、
助けて欲しくて、いろんな人に迷惑を掛けて…
でも関わってくれる相手に対し、過剰に依存してしまうので
相手に迷惑掛けたくなくて、人との関わりをほとんど断って…
最後の方は、ほとんど人との関わりを断っていました。
自分から連絡することもしなくなりました。
もうほとんど、行方不明のレベルで、ひっそりと存在していました。
私は、ここ10年のことを、ぼんやりとしか覚えていません。
いまだに、日付や曜日の感覚がありません。季節もよくわかりません。
現在も、行方不明とほぼ同様の生活です。
10年経っても、「つらいもんはつらい」です。ハッキリいってf^_^;
それでも、いまは、過去の想いだけに囚われることは、少なくなりました。
とりあえず、生きてます。
心配かけてしまってごめんなさい。
悲しみや苦しみは、時間によって癒されるのか?
2012年11月10日 10年後「悲しみや苦しみは、時間によって癒されるのか?」と言う問いは
「どんなに時間が経っても癒されない。」ということがわかりました。
時間は、悲しみや苦しみを癒してくれません。
どれだけ経っても、悲しみも苦しみも、時間だけでは癒されません。
悲しみや苦しみは、なくなりません。
悲しみや苦しみから逃れるには、それを考えないようにするしか方法がありません。
脳に出来てしまった「悲しみ」や「苦しみ」の神経回路を、弱め、細くすることでしか
それらからは逃れられません。
太く強くなってしまった神経回路を弱めるためには、
「悲しみ」や「苦しみ」について考えないようにすることでしか弱まりません。
それに加えて、自動思考を止める訓練を積まなくてはいけません。
Aならば、Bになる という思考を
Aであるならば、Bに必ずなるわけではない。CやDやEになることもある
という思考に変える訓練です。
また、私は、DVを受けていたため、自分の心を守るために、
自己防衛機能が働き、感情がいっさい失われてしまいました。
少しでも感情を取り戻すために、いろんなものに触れました。
美術とか芸術とか自然とか、その当時、触れられるものになるべく触れるようにしました。
変な思い込みも発生しました。
それは、あからさまにどう考えても変なので、
その考えが頭の中に浮かんでも、「こいつはおかしいぜ?」とわかるのですが
DVで認知機能が壊れているため、脳が誤作動します。
これについては、
「そんなことあるわけない。だから、そんなことはおきない。だから大丈夫」
と、発生のたび、自分に言い聞かせてました。
…それでも、恐怖におののくのですがね…
DVを受けると、自己防衛のため、脳の認知機能がおかしくなります。
これを治すのは、至難の業でした。
当時、精神病や心の病の垣根があいまいで
資料も研究結果も、ほとんど端的なものしかありませんでした。
来る日も来る日も図書館を巡り、役に立ちそうな知識を求めて探し回りました。
DVの後遺症が酷く、漫画すら読めなくなっていましたので
本を読む のは並大抵の苦労ではありませんでした。
DVでは、
考える力 判断する力 実行する力 等々、
「自分で判断し行動する」ことができなくなり、生きているサンドバック状態になります。
また、「なにが正しいのか」善悪の判断、行動の良い悪いがわからなくなります。
すべての基準が、「加害者にとって都合が良いもの」に書き換えられてしまいます。
ほとんど洗脳に近いです。
その状態で10年、復帰・復活は、通常の場合では望めないと言われました。
他人には、自己があります。信念があります。
それを無理やり「加害者にとって都合が良いもの」に合わせるには
自我を抑え、考える力も感情も何もかも失くさないと、合わせられません。
そうして、感情を失い、間違った認識でしか物事を判断できなくなっていくのです。
私の場合、この世から消えてしまった方が、自分の心がすごく楽になったと思います。
悲しみ や 苦しみ は、どんなに時間が経ってもなくなりません。
対症療法で、薄めることはできても、忘れることはできません。
考え方の癖を治すことで、心を楽にすることはできます。
「どんなに時間が経っても癒されない。」ということがわかりました。
時間は、悲しみや苦しみを癒してくれません。
どれだけ経っても、悲しみも苦しみも、時間だけでは癒されません。
悲しみや苦しみは、なくなりません。
悲しみや苦しみから逃れるには、それを考えないようにするしか方法がありません。
脳に出来てしまった「悲しみ」や「苦しみ」の神経回路を、弱め、細くすることでしか
それらからは逃れられません。
太く強くなってしまった神経回路を弱めるためには、
「悲しみ」や「苦しみ」について考えないようにすることでしか弱まりません。
それに加えて、自動思考を止める訓練を積まなくてはいけません。
Aならば、Bになる という思考を
Aであるならば、Bに必ずなるわけではない。CやDやEになることもある
という思考に変える訓練です。
また、私は、DVを受けていたため、自分の心を守るために、
自己防衛機能が働き、感情がいっさい失われてしまいました。
少しでも感情を取り戻すために、いろんなものに触れました。
美術とか芸術とか自然とか、その当時、触れられるものになるべく触れるようにしました。
変な思い込みも発生しました。
それは、あからさまにどう考えても変なので、
その考えが頭の中に浮かんでも、「こいつはおかしいぜ?」とわかるのですが
DVで認知機能が壊れているため、脳が誤作動します。
これについては、
「そんなことあるわけない。だから、そんなことはおきない。だから大丈夫」
と、発生のたび、自分に言い聞かせてました。
…それでも、恐怖におののくのですがね…
DVを受けると、自己防衛のため、脳の認知機能がおかしくなります。
これを治すのは、至難の業でした。
当時、精神病や心の病の垣根があいまいで
資料も研究結果も、ほとんど端的なものしかありませんでした。
来る日も来る日も図書館を巡り、役に立ちそうな知識を求めて探し回りました。
DVの後遺症が酷く、漫画すら読めなくなっていましたので
本を読む のは並大抵の苦労ではありませんでした。
DVでは、
考える力 判断する力 実行する力 等々、
「自分で判断し行動する」ことができなくなり、生きているサンドバック状態になります。
また、「なにが正しいのか」善悪の判断、行動の良い悪いがわからなくなります。
すべての基準が、「加害者にとって都合が良いもの」に書き換えられてしまいます。
ほとんど洗脳に近いです。
その状態で10年、復帰・復活は、通常の場合では望めないと言われました。
他人には、自己があります。信念があります。
それを無理やり「加害者にとって都合が良いもの」に合わせるには
自我を抑え、考える力も感情も何もかも失くさないと、合わせられません。
そうして、感情を失い、間違った認識でしか物事を判断できなくなっていくのです。
私の場合、この世から消えてしまった方が、自分の心がすごく楽になったと思います。
悲しみ や 苦しみ は、どんなに時間が経ってもなくなりません。
対症療法で、薄めることはできても、忘れることはできません。
考え方の癖を治すことで、心を楽にすることはできます。