気づかい

2003年6月25日
相手に対して、私が気を使わなくなると
相手の態度は一変する。

それは、どんな場合でも、変わらないかもしれない。。

私は自他共に、やりすぎるくらい気を使う。
私が気を使うときは、召使か奴隷のごとく、相手のために働く。
私が気を使わないときは、たぶん、世間一般並の気の使い方になるはずだ。

気を使わない、奴隷でない、私など
人は、受け入れようとしないのかもしれない。
今までの大部分の人は、みな、そうだった。。。

人が望むものを
人が望むままに
応え続けてきた。

そこに自分の意志と希望は入っていない。
あるのは‘相手に好かれたい’‘相手に嫌われたくない’ これだけだ。

だから、それを基にして築き上げた人間関係は
自分を犠牲して築き上げた人間関係だ。

だから私が困って頼ろうとしたときには拒絶される。
「なに?私の手を煩わせようっていうの?」
「ちゃんちゃら、おかしいわ、そんなこと」
「尽くされたいけど、尽くす気持ちは毛頭なくてよ。」
「あなたは尽くすのが本分。尽くされようなんて思うのは間違っているわ」
「尽くして欲しい?ならもっと私に尽くしてよ。(私は尽くす気なんて無いけどね)」
「もっと尽くせば(私が)優しくしてあげるかも、しれないわ(そんなこと、絶対無いけどね)」

拒絶されて、それでも尽くす。
それが私だ。

そんな悪循環から逃れるためには
人生リセットするのがいいのかもしれない。

環境も人間関係も何もかも

新たな自分を築き上げるしかないのかもしれない。

まだ日常生活すら、まともに送れないが
動かなくちゃいけないんだろう。
願わくば もう少し ここにいたかったが。。。
かなわぬ願いなら、引き止めてはいけないのかもしれない。

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