某活動時、いきなり、初対面の相手に
私のやっていることを全面否定され、
人格や存在意義すら否定された。

私は、とても悲しかったが
歯を食いしばり、涙を我慢して、相手の言葉をただ受け止めることにした。

それは、

それが親睦会を兼ねた交流会の場であり、
そこで、
相手に対して反論し、激昂して喧嘩をすることは、
場の雰囲気を乱すことだと、考えたからだ。
その場の責任者と年長者は、ただ黙って私たちを見ていた。

悔しかった。



その後、相手は私からの反論がないことに憤慨し
激しく文句をいいながら
別の席へ移った。

(と、いっても、総勢10数名なので
 その場にいる全員の会話は互いに聞き取れる)

その相手は、別の参加者Aと会話を始めた。
参加者Aに対し、ひとしきり私に対する罵倒をさらにグチった後、
どうして私がそういう態度をとったのかわからない
と、参加者Aに問うた。

参加者Aは、その質問が出るまで、ただ黙って相手の話を聞いていた。

参加者Aは、こう応えた。

「いろんな考えの人がいる。
 そういう考え方でなきゃ、活動に参加してはいけないということではない。
 いろんな人がいるから、いいんじゃないの?」

私は、その言葉に、驚くと同時に、涙が出るほど嬉しかった。
なぜなら、
その発言をした 参加者Aに 私は嫌われていると思っていたからである。
そう思い込んでいたから、ビックリした。
私のことを認めてくれているとは思ってもいなかったAに
援護してもらえたので、心底、驚いた。

同時にとても嬉しかった。
自分のことを、ちゃんと見ていてくれたんだと知って、
とても嬉しかった。

・・・実は、私は、ここまで公衆の面前で言われて、
それで、誰も助けても庇ってもくれないというメンバーに対し、
ほとほと失望し、今後の活動は控えよう。
もう二度とこない方がいいんだ。
明日までの我慢だ。明日まで我慢すればいいんだ、
そう思っていたからである。

Aとは、その後、別の活動で一緒になったが
この件をふまえて、よくよく観察してみると
私との交流を避けているわけではなく、
ただ、私がAの苦手なタイプらしいので
積極的に関わっていないだけだということに気付いた。
そして、親しく話すことはないけど、
普通の会話は成立していることに気付いた。
私はただ、思い込んでいただけだったのである。

Aに嫌われていなくて良かった、と、その時は思った。
時間がたった今は、それに加えて、
相手が苦手な場合は、そういう付き合い方もある、
そういうことを学んだ。

前述の(私を攻撃してきた)相手だが、
一晩たち、次の日、私に対していやに腰が引けていた。

私は、相手に対し、極力普通を装って接した。
相手は、そんな私に狼狽し、とても低姿勢で接してきた。
どうして相手がそうなったのか、私にはわからなかった。

私は、私が普通に接しているので相手は困惑しているのだと思った。
でも、実は、私は、
相手が、昨日の調子で絡んでくるのではないかと冷や冷やものであった苦笑)

もしかしたら、
メンバーの誰かが、諭したのかもしれない。
本人が反省したというよりも、そんな感じが強かった。

親睦会の席上の会話を聞いていてわかったことだが、
相手は、まず話し相手に議論を吹っかけ
それに対する反論と議論を持ってお互いに理解しあうという人物であった。

相手は、私が反論しなかったために、拍子抜けし
私に反論させるために、どんどん攻撃的な台詞をたたきつけていたのだった。
それで、私の存在を否定するところまでいってしまったのだった。
彼は反論を待っていたのだ。
反論がないので、半泣きで攻撃を仕掛けていたのだ。
・・・彼は、いままで、こんなに反論されなかったことはないのだろう。
Aにグチっていた時も、 なんでなんだよう という悲愴なものかが漂っていたのはそのせいだったのだ。
私はそれを、私に対する非難と受け止めていたが違っていたようだ。

この活動中の、その後の彼は
私に対し、狼狽しながらも、礼儀正しく接してくれた。

[ もしかしたら、その時の私の勤務先のせいかもしれなかったが・・・(苦笑) ]

その後、別の活動で一緒になったが
お互いに会話がかみ合わないってことがわかったので
お互いに距離をとり、
なるべく深い話をせず、1,2,3という感じの会話だけするようにした。
それでなんとかトラブルは未然に防げている(苦笑)

議論を吹っかけて、相互理解を行う人物もいる ということと
(価値観)気が合わない相手との距離をおいた付き合い方を 学んだ。

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