・・・牛乳はあまった訳ではない!
あまらせられているのだ!

・・・と、いう事実に気が付いている御仁はどれだけいるのだろうか?

ハッキリ言おう。
政府の言いなりになったツケがここになって出てきているのだ。
現状を認識しない関係者によって、
計画された酪農経営計画によって、
酪農家は、飼育環境対策費の大幅投入を余儀なくされ、
経営の大型化と牛乳の増産を、せざるを得ない状況におかれた。

現場を知らない人間による
責任感のないずさんな計画の結果がコレだ。

牛乳は確かに飲み物の1つである。
しかし、
それを生産しているのは牛である。
『生きもの』なのである。
生産量を減らそうと思っても、
生き物から生産されるものであり、
簡単に増減できる性質のものではない。
そこが、わかっていない関係者が多すぎる。

もっと大局的に物事を考えられないのだろか?
目先の利益や成果ではなく。

10年先、20年先の状況を想定して
計画を立ててていたら、
こういう状況を想定していたら、
と思うと悔やまれてならない。

10年ほど前にあった、同様の牛乳廃棄事件を忘れてやしないか?
あの悔しさ、苦しさを、覚えているのは酪農家だけなのか?

よかれ、と思って計画された政策もあるだろう。
しかし、このような結果になる前に
牛乳の余剰は少し前から見えていたのだから
生産量の調整を、
なぜもっとはやくから、酪農家に通知し行わなかったのか?
3年、5年という期間でなら、乳牛の数の調整は可能なはず。
(↑牛の妊娠期間と出産数の調整ができる年月を基に計算)

情報の開示や、情報収集の努力が
各方面の関係者に足りない気がしてならない。

情報を知っている者の危機感も薄かったと思う。

自分だけよければいい という考え方が
ここでも蔓延していたたためなのか?

いまからできることについても考えてほしいと思う。
生乳処分しかないのだろうか?
加工品が倉庫にいっぱいになっていて、生乳加工ができないなら
生乳をそのまま使ったり、戸別配布という政策はとれないのか?
必要とされているところへ、配布したり、
国際援助物資へ転換できないのか?(粉乳なら可能ではないのか?)

関係者に、責任をとってもらいたい。
対策費用を捻出してほしい。

増産のしすぎは、酪農家の自助努力で
ここ何年かで改善する事ができるだろう。
(乳牛数調整、出産制限などで)

早急に改善するには、生産の基となるもの・・・乳牛を減らせばいい。
・・・乳牛を殺せば、すぐに状況は改善される。

しかし、愛情を込めて育てた牛を、「いらないから」といって
ざくざくと殺せるだろうか?
たとえ、補助が出ても気の進む作業ではない。

酪農家自身に提供される情報は多くはない。
「これだけ必要だから作って」という情報は提供される。
でも、
「牛乳が余っているから生産量を減らす努力をしてください」
という情報がキチンと伝えられていたのだろうか?
業界全体で、生産量を減らす努力はしたのだろうか?

前回の反省や教訓が生かされていないと強く感じる。

農業について学んだ者として、憤慨を隠しきれない。
「もっとできることがあったはず」と悔やまれてならない。

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