必要情報 メモ
2004年1月26日メルマガより記載
自分を変える。セルフマイナーチェンジ考
〜小さな一歩で自分自身を進化させよう〜
2004.1.21 =第71号=
こんにちは、DATCHIです。
いつも、メルマガをお読みいただきありがとうございます。
今回のテーマは、自分自身に対する誠実さについて
考えてみたいと思います。
自分自身に正直になる事を考えた場合に
誠実に行動する事と、好き勝手に行動する事の違いを
認識することが大切です。
思っている通り行動する事が
自分を結果的に騙す事にならないかを
じっくり考えて欲しいのです。
欲望のままに行動をした時には
どこか後ろめたさが残るのではないでしょうか?
自分の中で、「それはやめておいた方が良い事だよ」と
思う瞬間があると思います。
自分なりの解釈をして、自分の行動を正当化することよりも
直感的に、誠実だと思う選択をしてゆくべきなのです。
誠実であることは、とても難しいことだと思います。
出来る事からで良いと思います。
100%は難しいかも知れません。
少しずつでも誠実に振舞ってみるのです。
その行動だけで、確実に、何かが変わります。
小さな幸せ感や心の安らぎが生まれてきます。
正直に生きてゆけるからです。
自分自身の行動を誤魔化しながら生きていると
とても疲れるはずです。
誠実になる事で、肩の力を抜いて生きてゆくことが出来ます。
何かを変えるためには、大きな変化ではなく、小さな一歩から
★今週の言葉
『自分に誠実になれた分だけ
心にゆとりができるのです。』
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000096234
自分を変える。セルフマイナーチェンジ考
〜小さな一歩で自分自身を進化させよう〜
2004.1.21 =第71号=
こんにちは、DATCHIです。
いつも、メルマガをお読みいただきありがとうございます。
今回のテーマは、自分自身に対する誠実さについて
考えてみたいと思います。
自分自身に正直になる事を考えた場合に
誠実に行動する事と、好き勝手に行動する事の違いを
認識することが大切です。
思っている通り行動する事が
自分を結果的に騙す事にならないかを
じっくり考えて欲しいのです。
欲望のままに行動をした時には
どこか後ろめたさが残るのではないでしょうか?
自分の中で、「それはやめておいた方が良い事だよ」と
思う瞬間があると思います。
自分なりの解釈をして、自分の行動を正当化することよりも
直感的に、誠実だと思う選択をしてゆくべきなのです。
誠実であることは、とても難しいことだと思います。
出来る事からで良いと思います。
100%は難しいかも知れません。
少しずつでも誠実に振舞ってみるのです。
その行動だけで、確実に、何かが変わります。
小さな幸せ感や心の安らぎが生まれてきます。
正直に生きてゆけるからです。
自分自身の行動を誤魔化しながら生きていると
とても疲れるはずです。
誠実になる事で、肩の力を抜いて生きてゆくことが出来ます。
何かを変えるためには、大きな変化ではなく、小さな一歩から
★今週の言葉
『自分に誠実になれた分だけ
心にゆとりができるのです。』
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000096234
秘 してこそ 花
2004年1月4日現在の状況について
打破するには?
すでに起こってしまったことはしかたない。
これからどうするか、だ。
明日から、きちんとあいさつを しよう。
我慢も時には必要だ。
何もかも好き勝手にしていいわけではない。
自分のしたいように
自分のいきたいように生きていくのなら 責任がともなう
その責任を 果たせないなら
我慢するしかないのだ。
我慢をし続けた結果、こうなってしまったが
それを他人に押し付けるべきではない。
責任は自分でとるべきなのだ。
疲れた
自分で自分の行動を 矯正 できない したくない
わがままに生きることが いま 必要なのが わかっている
(自分の意志を取り戻すために)
わがままに生きることが 人間関係を崩壊させること わかってる
生きるために 我慢が必要
我慢すると 病気は 治らない
なにもかも すべて 受け入れてくれる相手
自由に 気ままに すごせる 時間 が 場所 が ほしいだけなのだ
それが いま ひつよう な もの なのだ
それにはどうしたらいいんだろう?
いまのままを受け入れてくれるところにいくのが一番いい。
それはどこにあるのだろう?
崩壊しつつあるじぶんを 取り戻すために
何ができるのだろうか?
打破するには?
すでに起こってしまったことはしかたない。
これからどうするか、だ。
明日から、きちんとあいさつを しよう。
我慢も時には必要だ。
何もかも好き勝手にしていいわけではない。
自分のしたいように
自分のいきたいように生きていくのなら 責任がともなう
その責任を 果たせないなら
我慢するしかないのだ。
我慢をし続けた結果、こうなってしまったが
それを他人に押し付けるべきではない。
責任は自分でとるべきなのだ。
疲れた
自分で自分の行動を 矯正 できない したくない
わがままに生きることが いま 必要なのが わかっている
(自分の意志を取り戻すために)
わがままに生きることが 人間関係を崩壊させること わかってる
生きるために 我慢が必要
我慢すると 病気は 治らない
なにもかも すべて 受け入れてくれる相手
自由に 気ままに すごせる 時間 が 場所 が ほしいだけなのだ
それが いま ひつよう な もの なのだ
それにはどうしたらいいんだろう?
いまのままを受け入れてくれるところにいくのが一番いい。
それはどこにあるのだろう?
崩壊しつつあるじぶんを 取り戻すために
何ができるのだろうか?
麗容
2004年1月3日残りの人生?
人のよわいところを ついて 歩むような 人生は送りたくない。
人格が崩壊 or 変容 してしまっている
依存の度合いが酷く、末期になると そうなってしまって
人間関係が 崩壊 するように なってしまうらしい
ここから どうやって はいあがろうか?
ここから先の人生に幸せはあるのか?
他人を不幸にしていくだけではないのか?
過度の依存に耐えられる人間はいない。
自分で じぶん を 変えていくしかないのだ。
自分で じぶん を 元に もどすしかないのだ。
それに耐えられうる か どうか わから な い
人のよわいところを ついて 歩むような 人生は送りたくない。
人格が崩壊 or 変容 してしまっている
依存の度合いが酷く、末期になると そうなってしまって
人間関係が 崩壊 するように なってしまうらしい
ここから どうやって はいあがろうか?
ここから先の人生に幸せはあるのか?
他人を不幸にしていくだけではないのか?
過度の依存に耐えられる人間はいない。
自分で じぶん を 変えていくしかないのだ。
自分で じぶん を 元に もどすしかないのだ。
それに耐えられうる か どうか わから な い
うらはら
2003年8月15日心は態度に出るのだろうか?
言葉よりも如実なのが、態度なのだろうか?
信じるべきはなにか?
よくわからない。
わかりたくないのかもしれない。
目を塞いでいる方が 幸せなら そうしたいのだと思う。
目を開けたら魔法がさめてしまうから
目を開けたくないのだと思う。
ふぅ。。。
2003年7月11日つかれた そこはかとなく。。。
この先のこと考えると、くらくなる>_<
どうなるんだろう、じぶん。。。
ビジョンがみえません。。。
それが一番の問題なのかも。。。ふぅ。。。。
ふと、考える
2003年6月26日ふと、考える
なんだろう?って
なにしてるんだろう?って
ただ無為に日々を送っているのか
療養をしているのか よくわからなくなる
幻聴(音だけだけど、ね)
救急車の音
パトカーの音
アパートの階段を上ってくる足音
自分を取り戻すために必要なことは自分でわかってる
数ある選択肢の中から
もっとも実行可能なものを選ぶ
気が狂わずに正気でいられるものを選ぶ
なんだろう?って
なにしてるんだろう?って
ただ無為に日々を送っているのか
療養をしているのか よくわからなくなる
幻聴(音だけだけど、ね)
救急車の音
パトカーの音
アパートの階段を上ってくる足音
自分を取り戻すために必要なことは自分でわかってる
数ある選択肢の中から
もっとも実行可能なものを選ぶ
気が狂わずに正気でいられるものを選ぶ
気づかい
2003年6月25日相手に対して、私が気を使わなくなると
相手の態度は一変する。
それは、どんな場合でも、変わらないかもしれない。。
私は自他共に、やりすぎるくらい気を使う。
私が気を使うときは、召使か奴隷のごとく、相手のために働く。
私が気を使わないときは、たぶん、世間一般並の気の使い方になるはずだ。
気を使わない、奴隷でない、私など
人は、受け入れようとしないのかもしれない。
今までの大部分の人は、みな、そうだった。。。
人が望むものを
人が望むままに
応え続けてきた。
そこに自分の意志と希望は入っていない。
あるのは‘相手に好かれたい’‘相手に嫌われたくない’ これだけだ。
だから、それを基にして築き上げた人間関係は
自分を犠牲して築き上げた人間関係だ。
だから私が困って頼ろうとしたときには拒絶される。
「なに?私の手を煩わせようっていうの?」
「ちゃんちゃら、おかしいわ、そんなこと」
「尽くされたいけど、尽くす気持ちは毛頭なくてよ。」
「あなたは尽くすのが本分。尽くされようなんて思うのは間違っているわ」
「尽くして欲しい?ならもっと私に尽くしてよ。(私は尽くす気なんて無いけどね)」
「もっと尽くせば(私が)優しくしてあげるかも、しれないわ(そんなこと、絶対無いけどね)」
拒絶されて、それでも尽くす。
それが私だ。
そんな悪循環から逃れるためには
人生リセットするのがいいのかもしれない。
環境も人間関係も何もかも
新たな自分を築き上げるしかないのかもしれない。
まだ日常生活すら、まともに送れないが
動かなくちゃいけないんだろう。
願わくば もう少し ここにいたかったが。。。
かなわぬ願いなら、引き止めてはいけないのかもしれない。
相手の態度は一変する。
それは、どんな場合でも、変わらないかもしれない。。
私は自他共に、やりすぎるくらい気を使う。
私が気を使うときは、召使か奴隷のごとく、相手のために働く。
私が気を使わないときは、たぶん、世間一般並の気の使い方になるはずだ。
気を使わない、奴隷でない、私など
人は、受け入れようとしないのかもしれない。
今までの大部分の人は、みな、そうだった。。。
人が望むものを
人が望むままに
応え続けてきた。
そこに自分の意志と希望は入っていない。
あるのは‘相手に好かれたい’‘相手に嫌われたくない’ これだけだ。
だから、それを基にして築き上げた人間関係は
自分を犠牲して築き上げた人間関係だ。
だから私が困って頼ろうとしたときには拒絶される。
「なに?私の手を煩わせようっていうの?」
「ちゃんちゃら、おかしいわ、そんなこと」
「尽くされたいけど、尽くす気持ちは毛頭なくてよ。」
「あなたは尽くすのが本分。尽くされようなんて思うのは間違っているわ」
「尽くして欲しい?ならもっと私に尽くしてよ。(私は尽くす気なんて無いけどね)」
「もっと尽くせば(私が)優しくしてあげるかも、しれないわ(そんなこと、絶対無いけどね)」
拒絶されて、それでも尽くす。
それが私だ。
そんな悪循環から逃れるためには
人生リセットするのがいいのかもしれない。
環境も人間関係も何もかも
新たな自分を築き上げるしかないのかもしれない。
まだ日常生活すら、まともに送れないが
動かなくちゃいけないんだろう。
願わくば もう少し ここにいたかったが。。。
かなわぬ願いなら、引き止めてはいけないのかもしれない。
ん〜 ちと 寄り ^^
2003年6月11日みなさんの日記を読んで、元気をわけさせていただいています。
いつもありがとうございます!
<゜、----------------------------------≪
現在の状況。
今日は大きな街に行ってみた。
思考が停止しそうになった。
情報が多くて処理しきれなくて。
もちろん、うごけない。右側頭部がズキズキと痛くなる。
一生懸命、働こうとしているんだな、神経シナプスが。
ほんのちょっとしたショックで、自我が保てなくなりそうになる。
まだまだ社会復帰は難しそうです。
いや その前に 日常生活ができるようにならなければいけませぬなぁ^^
ただいま、外出は2時間が限度です。
復活を目指して
少しずつ身体を慣らしていかなければ いけませんねぇ^^
<゜、----------------------------------≪
人は ひと 自分は じぶん
今日は街に出たので、いろんな人を観察する機会を得た。
自分と比べて 落ち込む。。。
でも、人と比べても自分はその人になれるわけじゃない。
自分の個性を伸ばして生かすのが、
自分の魅力を最大限に発揮できる近道だ。
とりあえず、職場以外の、プライベートの世界では
自分の地でいっても大丈夫。
歩いているだけで、人を魅了する人間になりたいものだ^^
知り合って、もっと魅了できると、もっといいんだけど^^
見ただけで、「こういう人になりたいなぁ」って思ってもらえるレベルまで行くのが個人的な目標だったりする。いつかはかなうでしょ^^きっとね〜♪
<゜、----------------------------------≪
須賀さんへ お気に入りに登録させていただきました。これから、よろしくお願いいたします(^▽^)/
いつもありがとうございます!
<゜、----------------------------------≪
現在の状況。
今日は大きな街に行ってみた。
思考が停止しそうになった。
情報が多くて処理しきれなくて。
もちろん、うごけない。右側頭部がズキズキと痛くなる。
一生懸命、働こうとしているんだな、神経シナプスが。
ほんのちょっとしたショックで、自我が保てなくなりそうになる。
まだまだ社会復帰は難しそうです。
いや その前に 日常生活ができるようにならなければいけませぬなぁ^^
ただいま、外出は2時間が限度です。
復活を目指して
少しずつ身体を慣らしていかなければ いけませんねぇ^^
<゜、----------------------------------≪
人は ひと 自分は じぶん
今日は街に出たので、いろんな人を観察する機会を得た。
自分と比べて 落ち込む。。。
でも、人と比べても自分はその人になれるわけじゃない。
自分の個性を伸ばして生かすのが、
自分の魅力を最大限に発揮できる近道だ。
とりあえず、職場以外の、プライベートの世界では
自分の地でいっても大丈夫。
歩いているだけで、人を魅了する人間になりたいものだ^^
知り合って、もっと魅了できると、もっといいんだけど^^
見ただけで、「こういう人になりたいなぁ」って思ってもらえるレベルまで行くのが個人的な目標だったりする。いつかはかなうでしょ^^きっとね〜♪
<゜、----------------------------------≪
須賀さんへ お気に入りに登録させていただきました。これから、よろしくお願いいたします(^▽^)/
幻
2003年5月10日過去に とらわれているのかもしれない
過去の亡霊に
過去の幻想に
現実をみようとしていないのかもしれない
現実をみたくないから
過去の甘いよすがに しがみつくことによって
幸せと感じたときに しがみつくことによって
そこにもどれるはずと おもいたいのかもしれない
過去は 過去でしか ありえないのに
過去は 想い出 でしか ありえないのに
過去は 現実では ありえないのに
過去は 現実には なりえないのに
過去にすがって 生きても
未来は 過去の中にはない
わかっているのに
-----------------------------------------
lissaさん、お気に入りに登録させていただきました。これからよろしくお願いします(^-^)
過去の亡霊に
過去の幻想に
現実をみようとしていないのかもしれない
現実をみたくないから
過去の甘いよすがに しがみつくことによって
幸せと感じたときに しがみつくことによって
そこにもどれるはずと おもいたいのかもしれない
過去は 過去でしか ありえないのに
過去は 想い出 でしか ありえないのに
過去は 現実では ありえないのに
過去は 現実には なりえないのに
過去にすがって 生きても
未来は 過去の中にはない
わかっているのに
-----------------------------------------
lissaさん、お気に入りに登録させていただきました。これからよろしくお願いします(^-^)
20030507
2003年5月8日相手を非難したり、アドバイスするのは簡単。
自分の意見の押し付けるだけだから
相手の気持ちを理解することは むずかしい
わたしは相手の気持ちを瞬時に推察するクセがついている。
というよりも無意識的におこなっちゃうかな?
相手がいま何を考えているのか、いつも考えているから(笑)
そしてそれは大抵の場合、あたっている
普通のひとは そんなことできない
いや しない
していないんだろうなぁ(苦笑)
う〜ん。。。 していなくて当たり前なのかも f^--^;
遅刻でかんじたこと
朝、寝坊して遅刻するようなことがあると
決まって夫は
「あんたが俺を起こしてくれないから、こういうことになったんだ」
「あんたが早起きをしないから、俺が遅刻してみんなの前で恥をかく羽目になったんだ」
と、いって
わたしを せめて 怒鳴りつける。
そりゃもう すごい剣幕で(笑)
かくして わたしは ダンナにおこられるのがイヤだから
でも、これっていま冷静に観察してみると
ただのいちゃもんつけレベルの当り散らし
自分のしたことが自分で恥ずかしくて許せなくて
他人に対する責任転嫁で、自分の責任を逃れようとする 行動のあらわれで。。
自分で自分のしたことを認められない
精神的に未熟な人間だ
ということを吐露する出来事だよね?
思春期で反抗期の男子学生?→わがままなただの おこちゃま ? (大笑い)
う〜む、、
こういう一連の流れのもと 認識がゆがんでいったんだなぁ。。。
変だな〜と思って 口答えしたり 意見したり 質問したり したら
「そう考えるお前のほうが変なんだ!」
「お前のほうが間違っている!俺のしていることは全部正しいんだ!お前が俺に口答えするなんて許されないことなんだ!何を馬鹿なこといってんだ!」
って恫喝されて
それでも負けじと言い返したら
「お前は馬鹿だ」
「お前のいっていることは間違っている」
「もういっぺんそういうことをいってみろ!どうなるかわかっていってるんだろうなぁ?おらおら!!」
「俺のことが気に入らないなら出て行け!離婚だ」
と 余計に 恫喝と威圧が続く。。
「こういうこと↑があって、どうしたらいいかわかんないんです。
これって当たり前のことなんですか?」
って、近所の奥さんとか、訪問客に ふと 質問してみると
「ははははは(激汗)こいつ何馬鹿なこと言っているんでしょうかねぇ?」
「こらっ!そんなこと人様に言うもんじゃない!(目でのものすごい威圧)」
をされて、その場から追っ払われました。
もちろん、そのあとでた〜っぷり恫喝・威圧され(もちろん、怯えて泣き出して震え出すまで。)
「もうあんなこと人に言うな!」
「身内の恥を人様にさらすんじゃない!」
「どうしてお前はそう恥ずかしいことしかしないんだ!」
「だからお前は恥ずかしい人間なんだよ!」
「だからお前なんて人前にでる資格も権利も ねえんだよ!」
といって、外出禁止・人との会話禁止を約束されられ、ほとんど軟禁状態。
クリーニング屋さんや近所の人が来ても
玄関の鍵を開けたり会話したりすると後で絶対ばれて更に恫喝・威圧されるので
絶対に応対できないと思い込み、対応することさえできなくなってしまいました。。
近所の奥さんと会話をしたりすると、その宅のダンナさん経由で(←わたしは社宅に住んでいます)わたしのダンナに情報が伝わります。そして帰宅すると
「あんた今日、○○さんの奥さんと話したんだってね?何を話したの?珍しいこともあるもんだね。」と珍しくわたしに話し掛けてきます。。わたしは、「あぁ、ほんの少し二言・三言話ただけで、すぐにわかってしまうんだ。わたしは何をしてもすぐわかるように監視されているんだ」と感じてしまいました。わたしは小さく「うん。。。」としか答えられませんでした。「変な話、しなかったでしょうね?」ダンナがきいてきます。。「うん。。。」それしか答えられません。。かくしてこういうことが繰り返され、わたしはどんどん人との交流を避けるようになっていきました。
夫は 夫が私にしている ことを人に知られて
自分の築いている人物像(優しくて立派な人物)を壊されるのがイヤだったのだと思います。
そしてわたしが自分に逆らうのが許せなかったのでしょう。
夫は生い立ちの中でずっと王様扱いを受けてきました。
彼は頭が良かったので、家族は皆、彼をほめたたえました。狭い社宅に住んでいるにも関わらず一部屋丸ごとを自分の部屋として与えられ(他の家族は他の部屋でぎゅうぎゅうの暮らし)、自分の言っていることは何でも通り、家の中での望みは何でも叶う生活を、生まれたころからずっとしていたそうです。家の中ででは暴君であっても、外の世界(社会的な場・世間)では、そういう態度よりも、優しく思いやりのある立派な態度の方が、世間受けがいいこと、また両親も外ではそういう態度をとっていることなどから、家を一歩出て、第三者がいるところでは、ワガママな自分を上手く抑えて生きてきたみたいです。
それを単に再現しただけなんでしょう、きっと。
だって 彼には それが当たり前だったから。
一般的にいわれている亭主関白で中で夫が威張っている家庭っていうのはね、
食事の時に席が決まっていて、
(内心恐る恐る)「お茶!(をくださると嬉しいんですが。。)」って奥さんに一言いうのとか、
おかずが他の家族より一品多いとか、そういうぐらいのもんだよ?
これが世間一般で認識されている『亭主関白』。
これが普通は信じられない!っていわれている亭主関白の夫の姿なんだよ?
「よく10年 耐えてきましたねぇ。。 」(←精神科医 談)
といわれるのも少しわかってきた。
ふ つ う の 亭主関白 とは 訳が違っていたんだ。
亭主関白 と 世間一般でいわれているものじゃなかったんだ。
「どうしてそう(変だ)と思わなかったんですか?」
「どうしてダンナさんのもとに戻ろうとするんですか?」
「ストレスがないのならいいけど、そういうわけじゃないんですよね?
ストレスフルな場所にいっても またストレスがたまるだけなんじゃないですか?」
「彼は結婚前も結婚後もほとんど変わっていないの?!」
「じゃ、彼は自分を変えることは (し)なかったと いうことだね?」
お医者様に言われて 気付きました。
「いま の自分は本来の自分ではないような気がします。」
「じゃ、本来の自分ってどんななの?」
「中学・高校のころの自分です。」
「好奇心旺盛で、いろんなことにチャレンジしていて、興味があればどこにでも飛んでいっていました。行動力に溢れる人間でした。」
「じゃあ、そのころに戻れるようにしてみるといいねぇ^^」
→ 私は自分が漠然とそう考えていました。
相手が自分と同じことを考えて、そういう結論を出したんだと 感じました。
とても嬉しく感じました。
自分を理解してもらえたんだと 感じました。
あぁ、こう感じてもいいんだな、と。
自分の感じていたとおりでいいんだな、と。
漠然と感じていたものが
形 を 成した 一瞬 でした。
自分の感じるままに感じても 間違いじゃないんだ!
自分の感情を始めて認めた瞬間
自分を肯定した瞬間
自分は 自分の 感じるままに 感じていい と
理解
なんか こころ が 軽く なりました。
自分の意見の押し付けるだけだから
相手の気持ちを理解することは むずかしい
わたしは相手の気持ちを瞬時に推察するクセがついている。
というよりも無意識的におこなっちゃうかな?
相手がいま何を考えているのか、いつも考えているから(笑)
そしてそれは大抵の場合、あたっている
普通のひとは そんなことできない
いや しない
していないんだろうなぁ(苦笑)
う〜ん。。。 していなくて当たり前なのかも f^--^;
遅刻でかんじたこと
朝、寝坊して遅刻するようなことがあると
決まって夫は
「あんたが俺を起こしてくれないから、こういうことになったんだ」
「あんたが早起きをしないから、俺が遅刻してみんなの前で恥をかく羽目になったんだ」
と、いって
わたしを せめて 怒鳴りつける。
そりゃもう すごい剣幕で(笑)
かくして わたしは ダンナにおこられるのがイヤだから
でも、これっていま冷静に観察してみると
ただのいちゃもんつけレベルの当り散らし
自分のしたことが自分で恥ずかしくて許せなくて
他人に対する責任転嫁で、自分の責任を逃れようとする 行動のあらわれで。。
自分で自分のしたことを認められない
精神的に未熟な人間だ
ということを吐露する出来事だよね?
思春期で反抗期の男子学生?→わがままなただの おこちゃま ? (大笑い)
う〜む、、
こういう一連の流れのもと 認識がゆがんでいったんだなぁ。。。
変だな〜と思って 口答えしたり 意見したり 質問したり したら
「そう考えるお前のほうが変なんだ!」
「お前のほうが間違っている!俺のしていることは全部正しいんだ!お前が俺に口答えするなんて許されないことなんだ!何を馬鹿なこといってんだ!」
って恫喝されて
それでも負けじと言い返したら
「お前は馬鹿だ」
「お前のいっていることは間違っている」
「もういっぺんそういうことをいってみろ!どうなるかわかっていってるんだろうなぁ?おらおら!!」
「俺のことが気に入らないなら出て行け!離婚だ」
と 余計に 恫喝と威圧が続く。。
「こういうこと↑があって、どうしたらいいかわかんないんです。
これって当たり前のことなんですか?」
って、近所の奥さんとか、訪問客に ふと 質問してみると
「ははははは(激汗)こいつ何馬鹿なこと言っているんでしょうかねぇ?」
「こらっ!そんなこと人様に言うもんじゃない!(目でのものすごい威圧)」
をされて、その場から追っ払われました。
もちろん、そのあとでた〜っぷり恫喝・威圧され(もちろん、怯えて泣き出して震え出すまで。)
「もうあんなこと人に言うな!」
「身内の恥を人様にさらすんじゃない!」
「どうしてお前はそう恥ずかしいことしかしないんだ!」
「だからお前は恥ずかしい人間なんだよ!」
「だからお前なんて人前にでる資格も権利も ねえんだよ!」
といって、外出禁止・人との会話禁止を約束されられ、ほとんど軟禁状態。
クリーニング屋さんや近所の人が来ても
玄関の鍵を開けたり会話したりすると後で絶対ばれて更に恫喝・威圧されるので
絶対に応対できないと思い込み、対応することさえできなくなってしまいました。。
近所の奥さんと会話をしたりすると、その宅のダンナさん経由で(←わたしは社宅に住んでいます)わたしのダンナに情報が伝わります。そして帰宅すると
「あんた今日、○○さんの奥さんと話したんだってね?何を話したの?珍しいこともあるもんだね。」と珍しくわたしに話し掛けてきます。。わたしは、「あぁ、ほんの少し二言・三言話ただけで、すぐにわかってしまうんだ。わたしは何をしてもすぐわかるように監視されているんだ」と感じてしまいました。わたしは小さく「うん。。。」としか答えられませんでした。「変な話、しなかったでしょうね?」ダンナがきいてきます。。「うん。。。」それしか答えられません。。かくしてこういうことが繰り返され、わたしはどんどん人との交流を避けるようになっていきました。
夫は 夫が私にしている ことを人に知られて
自分の築いている人物像(優しくて立派な人物)を壊されるのがイヤだったのだと思います。
そしてわたしが自分に逆らうのが許せなかったのでしょう。
夫は生い立ちの中でずっと王様扱いを受けてきました。
彼は頭が良かったので、家族は皆、彼をほめたたえました。狭い社宅に住んでいるにも関わらず一部屋丸ごとを自分の部屋として与えられ(他の家族は他の部屋でぎゅうぎゅうの暮らし)、自分の言っていることは何でも通り、家の中での望みは何でも叶う生活を、生まれたころからずっとしていたそうです。家の中ででは暴君であっても、外の世界(社会的な場・世間)では、そういう態度よりも、優しく思いやりのある立派な態度の方が、世間受けがいいこと、また両親も外ではそういう態度をとっていることなどから、家を一歩出て、第三者がいるところでは、ワガママな自分を上手く抑えて生きてきたみたいです。
それを単に再現しただけなんでしょう、きっと。
だって 彼には それが当たり前だったから。
一般的にいわれている亭主関白で中で夫が威張っている家庭っていうのはね、
食事の時に席が決まっていて、
(内心恐る恐る)「お茶!(をくださると嬉しいんですが。。)」って奥さんに一言いうのとか、
おかずが他の家族より一品多いとか、そういうぐらいのもんだよ?
これが世間一般で認識されている『亭主関白』。
これが普通は信じられない!っていわれている亭主関白の夫の姿なんだよ?
「よく10年 耐えてきましたねぇ。。 」(←精神科医 談)
といわれるのも少しわかってきた。
ふ つ う の 亭主関白 とは 訳が違っていたんだ。
亭主関白 と 世間一般でいわれているものじゃなかったんだ。
「どうしてそう(変だ)と思わなかったんですか?」
「どうしてダンナさんのもとに戻ろうとするんですか?」
「ストレスがないのならいいけど、そういうわけじゃないんですよね?
ストレスフルな場所にいっても またストレスがたまるだけなんじゃないですか?」
「彼は結婚前も結婚後もほとんど変わっていないの?!」
「じゃ、彼は自分を変えることは (し)なかったと いうことだね?」
お医者様に言われて 気付きました。
「いま の自分は本来の自分ではないような気がします。」
「じゃ、本来の自分ってどんななの?」
「中学・高校のころの自分です。」
「好奇心旺盛で、いろんなことにチャレンジしていて、興味があればどこにでも飛んでいっていました。行動力に溢れる人間でした。」
「じゃあ、そのころに戻れるようにしてみるといいねぇ^^」
→ 私は自分が漠然とそう考えていました。
相手が自分と同じことを考えて、そういう結論を出したんだと 感じました。
とても嬉しく感じました。
自分を理解してもらえたんだと 感じました。
あぁ、こう感じてもいいんだな、と。
自分の感じていたとおりでいいんだな、と。
漠然と感じていたものが
形 を 成した 一瞬 でした。
自分の感じるままに感じても 間違いじゃないんだ!
自分の感情を始めて認めた瞬間
自分を肯定した瞬間
自分は 自分の 感じるままに 感じていい と
理解
なんか こころ が 軽く なりました。
いきる
2003年5月7日 精一杯 いきる
倒れて うごけなくなるまで
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
私は 親に 似ていない。
祖母に そっくりだと いわれる。
気配りや行動力 抜群で
好奇心旺盛で
珍しい物好きで
人が思いつかないようなことを思いついて、
実行にうつしてしまうところ
(ここまでは 私も祖母も一緒♪)
優しくて
料理が上手で
綺麗で
色っぽくて
毅然としていて
頭をあげて 前をしっかりと見ていて
厳格で
何にも屈しない勇気を持っていて
自分を大切にしていて
季節を感じて
料理をつくり
お祝いをして
笑って
楽しんで
おいしいものを たくさんつくって
おすそわけして
みんなで楽しんで
みんなで感じて
子供に対しては
平等 と
思いやり と
自分の意志を明確にもつこと
自分が守るべきものは何か
年下の子供たちには、
どう接し、どう導いて行けばいいのか
年長者に対しては
どう接し、自分の意見をどう伝えればいいのか
自分の役割は何か
自分がすべきことは なにか
自分が してはいけないことはなにか
自分が何をしてもよいのか
家族に対し、愛情を示すにはどうしたらいいのか
たいせつなひと
たいせつなもの
どうやって気持ちを伝えれば いいのか
どうやって守ればいいのか
自分の気持ちをどうやってあらわしたらいいのか
いつも教えてくれた
一筋で
一途で
自分の意志を曲げず
ハッキリとものをいい
頭脳明快・理路整然
即断即決・情厚義堅
厳しくて 口うるさいけど
愛情たっぷりに見守ってくれる
そんな祖母でした。
・・・
・・・
・・・たしかに そっくり。。。
そう考えると
私が祖母と一緒にいられた時間は
長いものではありませんでしたが、
いろいろなことを
知らず知らずのうちに教わり
身に付けていたのだなぁ、と感じます。
だから、似ているのかもしれない
大好きな祖母に。
親類が祖母のことを話すとき
必ず言葉をにごすことがあるけど、
私は
祖母がきついことをいう時は
必ず歴然とした理由があることを理解していたし
確固たる信念のもと
発言していたのも知っている。
相手の意見を否定するわけではなく
尊重し、
自分の意見を述べて
相互理解を試みていたことも知っている。
親類には、それが理解できなかったんだろうな。
祖母がボケ始めて
病院に入院させられ
養護施設に行っていたことを私はしらなかった。
聞いても、誰もが言葉をにごし口を閉ざした。
嘘を教えられて、半信半疑のまま、私は信じた。
「たぶん祖母は幸せに暮らしているのだろうな」
と勘違いしていた。
葬式のとき、親も親類もみんな
最後はこうだった
自分は、死に際に会えてよかった、満足した
とか なんとか 話していた。
なにか違うと感じていた。
違和感の正体がわかった。
祖母の病気を
隠されていたこと
だまされていたこと
騙されていた自分に腹が立っていたんだ。
騙した両親に腹を立てていたんだ。
(家族はその後、また親類の件で私を苦しめるのだが。。)
そうしようとした経緯は わかる。
そうした気持ちも わかる。
だ けれども
私の気持ちは?
私の気持ちは考慮されなかった?
私が
何を
どういう風に考えるのか
考えてもらえなかったのか?
それとも やはり
私の行動力を恐れてのことだろうか?
たぶん、私は
祖母の置かれている立場を知ったら
間髪いれず
助けにいっただろう!
自分ができることを 実行に移したと思う。
あなどっては いけない。
私はそういう時の行動力は 人並み以上にあるのだ。
たぶん、祖母を助けるために
ありとあらゆる手を 駆使していた。
入院しているなら、できる限り見舞いに行き
少しでも祖母の病状を 良くするために
話しかけ、手足を動かし
少しでも刺激を与え
病気の進行を阻止し、回復を謀っただろう。
養護施設にいれられていたら
退所させ、引き取って面倒をみていただろう。
養護施設に入居させるだけのお金があるのなら
自宅での介護も可能なはずだ。
養護施設に入居させた理由は
昼間面倒を見ることができる人間が
いないことが原因だったのはわかっている。
そんなものは、簡単に払拭できる。
要は要領なのだ。
手間隙を惜しむから、そう考えてしまうのだ。
文明の利器がある。
自分の頭脳がある。
それをフル回転させるだけでいい。
それだけでかなり改善できるはずだ。
愛情
それがあれば、なんでもできる
それを実践して教えてくれたのが祖母だから。
祖母は私にそういうことを教えてくれたのだから。
人が困っているときは助けてあげましょうね
人の気持ちを考えて行動しましょうね
自分にできることは何か考えましょう
できることがあるのなら やってごらんなさい
無関心をよそおっていたり
知らんぷりをしちゃだめ
きちんと自分で考えて決断して実行しなさい
悔しいなぁ T-T。
実の子供たちには、
どうしてそれがわからなかったんだろう?
孫の私にでさえ、わかるのに。
わたしは やはり 変り種 なのかな?
倒れて うごけなくなるまで
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
私は 親に 似ていない。
祖母に そっくりだと いわれる。
気配りや行動力 抜群で
好奇心旺盛で
珍しい物好きで
人が思いつかないようなことを思いついて、
実行にうつしてしまうところ
(ここまでは 私も祖母も一緒♪)
優しくて
料理が上手で
綺麗で
色っぽくて
毅然としていて
頭をあげて 前をしっかりと見ていて
厳格で
何にも屈しない勇気を持っていて
自分を大切にしていて
季節を感じて
料理をつくり
お祝いをして
笑って
楽しんで
おいしいものを たくさんつくって
おすそわけして
みんなで楽しんで
みんなで感じて
子供に対しては
平等 と
思いやり と
自分の意志を明確にもつこと
自分が守るべきものは何か
年下の子供たちには、
どう接し、どう導いて行けばいいのか
年長者に対しては
どう接し、自分の意見をどう伝えればいいのか
自分の役割は何か
自分がすべきことは なにか
自分が してはいけないことはなにか
自分が何をしてもよいのか
家族に対し、愛情を示すにはどうしたらいいのか
たいせつなひと
たいせつなもの
どうやって気持ちを伝えれば いいのか
どうやって守ればいいのか
自分の気持ちをどうやってあらわしたらいいのか
いつも教えてくれた
一筋で
一途で
自分の意志を曲げず
ハッキリとものをいい
頭脳明快・理路整然
即断即決・情厚義堅
厳しくて 口うるさいけど
愛情たっぷりに見守ってくれる
そんな祖母でした。
・・・
・・・
・・・たしかに そっくり。。。
そう考えると
私が祖母と一緒にいられた時間は
長いものではありませんでしたが、
いろいろなことを
知らず知らずのうちに教わり
身に付けていたのだなぁ、と感じます。
だから、似ているのかもしれない
大好きな祖母に。
親類が祖母のことを話すとき
必ず言葉をにごすことがあるけど、
私は
祖母がきついことをいう時は
必ず歴然とした理由があることを理解していたし
確固たる信念のもと
発言していたのも知っている。
相手の意見を否定するわけではなく
尊重し、
自分の意見を述べて
相互理解を試みていたことも知っている。
親類には、それが理解できなかったんだろうな。
祖母がボケ始めて
病院に入院させられ
養護施設に行っていたことを私はしらなかった。
聞いても、誰もが言葉をにごし口を閉ざした。
嘘を教えられて、半信半疑のまま、私は信じた。
「たぶん祖母は幸せに暮らしているのだろうな」
と勘違いしていた。
葬式のとき、親も親類もみんな
最後はこうだった
自分は、死に際に会えてよかった、満足した
とか なんとか 話していた。
なにか違うと感じていた。
違和感の正体がわかった。
祖母の病気を
隠されていたこと
だまされていたこと
騙されていた自分に腹が立っていたんだ。
騙した両親に腹を立てていたんだ。
(家族はその後、また親類の件で私を苦しめるのだが。。)
そうしようとした経緯は わかる。
そうした気持ちも わかる。
だ けれども
私の気持ちは?
私の気持ちは考慮されなかった?
私が
何を
どういう風に考えるのか
考えてもらえなかったのか?
それとも やはり
私の行動力を恐れてのことだろうか?
たぶん、私は
祖母の置かれている立場を知ったら
間髪いれず
助けにいっただろう!
自分ができることを 実行に移したと思う。
あなどっては いけない。
私はそういう時の行動力は 人並み以上にあるのだ。
たぶん、祖母を助けるために
ありとあらゆる手を 駆使していた。
入院しているなら、できる限り見舞いに行き
少しでも祖母の病状を 良くするために
話しかけ、手足を動かし
少しでも刺激を与え
病気の進行を阻止し、回復を謀っただろう。
養護施設にいれられていたら
退所させ、引き取って面倒をみていただろう。
養護施設に入居させるだけのお金があるのなら
自宅での介護も可能なはずだ。
養護施設に入居させた理由は
昼間面倒を見ることができる人間が
いないことが原因だったのはわかっている。
そんなものは、簡単に払拭できる。
要は要領なのだ。
手間隙を惜しむから、そう考えてしまうのだ。
文明の利器がある。
自分の頭脳がある。
それをフル回転させるだけでいい。
それだけでかなり改善できるはずだ。
愛情
それがあれば、なんでもできる
それを実践して教えてくれたのが祖母だから。
祖母は私にそういうことを教えてくれたのだから。
人が困っているときは助けてあげましょうね
人の気持ちを考えて行動しましょうね
自分にできることは何か考えましょう
できることがあるのなら やってごらんなさい
無関心をよそおっていたり
知らんぷりをしちゃだめ
きちんと自分で考えて決断して実行しなさい
悔しいなぁ T-T。
実の子供たちには、
どうしてそれがわからなかったんだろう?
孫の私にでさえ、わかるのに。
わたしは やはり 変り種 なのかな?
脱 力
2003年5月5日一気に力が抜けた。
自分の力 が 及ばないことを知った。
しかたがない こ と を 知った。
このうえは いさぎよく あきらめるしか ないのかもしれない
断崖絶壁 に 立っている気分。
--------------------------------------------
つらいことから 逃げ出すのは よくないことかもしれない
でも いま の私には そうすることしかできない
--------------------------------------------
一生懸命 生きて なんになるんだろう? わかんない >_<
お医者さんに 診てもらった。
いまの状況を正確に把握するために。
ストレスフルな状況で 悩むのが当たり前の状態ですよ と言われた。
普通ってなんだろう?
いままで自分が信じていたものが普通じゃなかったみたい。
間違った価値観と判断基準で生きてきてしまったらしいことは わかってる。
それを治すために ここに いる ことも わかっている。
私にとって必要なことは『自信をつけること』と『正しいものの見方を学ぶこと』だ。
でもね、やっぱり。。
他人に迷惑をかけてまで、自分を立て直そうとするのは どうかと思う。
自分のことは 自分でケリをつけなくちゃいけないと おもう。
迷ってても 悩んでても
他人に迷惑をかけることは よくないことだとおもう。
相談しても
事態のあまりの重さに 皆 知らんぷり を 決め込む。
見てみぬフリをする。関わりたくないのが 本音
わたしは いいひとに出会えてよかった。
思いきって 勇気を出して 声をかけてよかった。
でも わたしとの関係が 相手にとって 好ましくないものなら
あいてが 笑顔で 毎日を すごせないなら
あいての 笑顔を わたしが阻害しているのなら
わたしは ここから 立ち去らねば いけないのだ
あいての 笑顔を とりもどすために
あいてが 笑顔で 毎日を すごせるように
わたしは 基本的に相手の幸せを望む。
たとえそれが だれであっても、
あいてが 笑顔で 楽しい時間をすごせるよう最大限の努力をする。
自分にできることを考える。
ここから でていく のが 一番このましいのだ
居心地がいいから なかなか でていけないけど。。
でも 相手の笑顔を取り戻すために がんばらなくては
おんがえしを しなくては
わたしに できる せいいっぱいを しなくては
わたしが ら 泣くという。
それがいちばん困る。
笑顔になってもらうために そうするのに
わたしには もう それしか できることはないのに
泣かせたいわけじゃない
笑顔で毎日すごしてほしいだけなのに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ん?まてよ
泣くのが当たり前の反応か!
なら、わたしがしようとしていることは
当たり前のこと?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
佐那さん、お気に入りにリンクさせていただきました。これからよろしくお願いします(^▽^)/
自分の力 が 及ばないことを知った。
しかたがない こ と を 知った。
このうえは いさぎよく あきらめるしか ないのかもしれない
断崖絶壁 に 立っている気分。
--------------------------------------------
つらいことから 逃げ出すのは よくないことかもしれない
でも いま の私には そうすることしかできない
--------------------------------------------
一生懸命 生きて なんになるんだろう? わかんない >_<
お医者さんに 診てもらった。
いまの状況を正確に把握するために。
ストレスフルな状況で 悩むのが当たり前の状態ですよ と言われた。
普通ってなんだろう?
いままで自分が信じていたものが普通じゃなかったみたい。
間違った価値観と判断基準で生きてきてしまったらしいことは わかってる。
それを治すために ここに いる ことも わかっている。
私にとって必要なことは『自信をつけること』と『正しいものの見方を学ぶこと』だ。
でもね、やっぱり。。
他人に迷惑をかけてまで、自分を立て直そうとするのは どうかと思う。
自分のことは 自分でケリをつけなくちゃいけないと おもう。
迷ってても 悩んでても
他人に迷惑をかけることは よくないことだとおもう。
相談しても
事態のあまりの重さに 皆 知らんぷり を 決め込む。
見てみぬフリをする。関わりたくないのが 本音
わたしは いいひとに出会えてよかった。
思いきって 勇気を出して 声をかけてよかった。
でも わたしとの関係が 相手にとって 好ましくないものなら
あいてが 笑顔で 毎日を すごせないなら
あいての 笑顔を わたしが阻害しているのなら
わたしは ここから 立ち去らねば いけないのだ
あいての 笑顔を とりもどすために
あいてが 笑顔で 毎日を すごせるように
わたしは 基本的に相手の幸せを望む。
たとえそれが だれであっても、
あいてが 笑顔で 楽しい時間をすごせるよう最大限の努力をする。
自分にできることを考える。
ここから でていく のが 一番このましいのだ
居心地がいいから なかなか でていけないけど。。
でも 相手の笑顔を取り戻すために がんばらなくては
おんがえしを しなくては
わたしに できる せいいっぱいを しなくては
わたしが ら 泣くという。
それがいちばん困る。
笑顔になってもらうために そうするのに
わたしには もう それしか できることはないのに
泣かせたいわけじゃない
笑顔で毎日すごしてほしいだけなのに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ん?まてよ
泣くのが当たり前の反応か!
なら、わたしがしようとしていることは
当たり前のこと?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
佐那さん、お気に入りにリンクさせていただきました。これからよろしくお願いします(^▽^)/
一緒にいる意味。
2003年4月18日何がしたいんでしょうかねぇ、自分。
どうにもならん状況の中で。
夢や望みばかりが大きくて。。
誰かと一緒にいれば、不満があるのが当たり前。
どちらも我慢しなければならない。
我慢したくないなら、ひとりで生きていけばいい。
それは、わかっとるんよ!
それができたら、苦労はせんたい ね!!
一人で生きて行くことのむずかしさ。
一人になろうとすると、実感する。
一人でやっていけるのか?
一人で耐えられるのか?
ダンナは だいじょうぶ。
一人でも やっていける人。
今までだって ひとり だったもん。
ひとりぐらしと変わんない状態で暮らしていたもん、あの人は。
ダンナに頼っていたのは、私だけ。
ダンナが、全ての行動の基準になっていた。
だから、つらくなった。
だから、耐えられなくなった。
そのうちに、ダンナは 仕事と称せば、何をしても免除されることを知り
それで、遊び回るようになって、、
家庭を顧みなくなった。
しょうがないこと。
もう治らないこと。
なおすきもない人に 治せといっても無理。
仕事で毎晩 遅くなり
土日も 仕事と称して 出掛けるのならば
また前と同じ 繰り返し。
いつまでたっても ひとり。
一人の時間を有意義に過ごせば?
と いう人もいるが ダンナと一緒ではそれは出来ないのだ。
ダンナは私が何かしようとすると 必ずイヤな顔をして
『そういうことはしてほしくない。それなら出て行け!』
というのが 定番になっているのだ。
それをダンナがしなくなっても、
私の心についた傷は大きくトラウマになっており、
『自分の欲求を通そうとすれば怒鳴られるんだ』と刷り込まれている。
だから 何も出来なくなる。
ダンナの傍にいるだけで情緒不安定になる。
ダンナは 怒鳴ることを
私を けなすことを やめられない。
だから どんなに やりなおそうと試みても やりなおせないのだ。
今いる場所は、ある意味、とてもダンナの家に似ている。
怒鳴られないだけだ。蔑まれないだけだ。
そう考えると ダンナはまだ私に愛情があるのかもしれないと錯覚する。
戻る場所は、そこにしかないのか
どうにもならん状況の中で。
夢や望みばかりが大きくて。。
誰かと一緒にいれば、不満があるのが当たり前。
どちらも我慢しなければならない。
我慢したくないなら、ひとりで生きていけばいい。
それは、わかっとるんよ!
それができたら、苦労はせんたい ね!!
一人で生きて行くことのむずかしさ。
一人になろうとすると、実感する。
一人でやっていけるのか?
一人で耐えられるのか?
ダンナは だいじょうぶ。
一人でも やっていける人。
今までだって ひとり だったもん。
ひとりぐらしと変わんない状態で暮らしていたもん、あの人は。
ダンナに頼っていたのは、私だけ。
ダンナが、全ての行動の基準になっていた。
だから、つらくなった。
だから、耐えられなくなった。
そのうちに、ダンナは 仕事と称せば、何をしても免除されることを知り
それで、遊び回るようになって、、
家庭を顧みなくなった。
しょうがないこと。
もう治らないこと。
なおすきもない人に 治せといっても無理。
仕事で毎晩 遅くなり
土日も 仕事と称して 出掛けるのならば
また前と同じ 繰り返し。
いつまでたっても ひとり。
一人の時間を有意義に過ごせば?
と いう人もいるが ダンナと一緒ではそれは出来ないのだ。
ダンナは私が何かしようとすると 必ずイヤな顔をして
『そういうことはしてほしくない。それなら出て行け!』
というのが 定番になっているのだ。
それをダンナがしなくなっても、
私の心についた傷は大きくトラウマになっており、
『自分の欲求を通そうとすれば怒鳴られるんだ』と刷り込まれている。
だから 何も出来なくなる。
ダンナの傍にいるだけで情緒不安定になる。
ダンナは 怒鳴ることを
私を けなすことを やめられない。
だから どんなに やりなおそうと試みても やりなおせないのだ。
今いる場所は、ある意味、とてもダンナの家に似ている。
怒鳴られないだけだ。蔑まれないだけだ。
そう考えると ダンナはまだ私に愛情があるのかもしれないと錯覚する。
戻る場所は、そこにしかないのか